2004年 3月24日(水) 幻の北千住幕

来週,常磐線の北千住−上野が早朝運転休止になる.そのため,幻の北千住幕を掲げた103系を見れるかどうか賭けようと思ったら,冷房車には北千住幕が無いとのこと.そういわれればそうだったなぁ.
宿も手配したのになぁ....って事で悔しいので幻の北千住幕をアップします.


1983. 3頃 松戸 クハ103−503


1983. 3頃 松戸 クハ103−503

当時は何も感じずに写していたけど,後から見ても北千住の幕はこのときしか写していない.
他の非冷房車中間クハは,73番が方向幕なし,74番が1位側からで見えず,81番も1位側からで見えず,25番未確認でした.


1983. 3頃 拝島 モハ103−1

ついでなんでね,この頃の写真は今となっては貴重だけど,程度はあまり良くない.この写真もかなり補正をかけているけど補正しても下回りがさっぱりと言うのもある.
まぁ,モノクロにしたらもうちょっと融通は利くけど,カラーだと完全に「色飛び」がわかるから.
ただ,デジカメでもそうだけど,一番怖いのは「白飛び」で,ようはオーバーだったら情報が記録されないけど,アンダーだったら補正したら像が浮かび上がる可能性があると言うこと.
とは,言う物の,やっぱりあきまへんけど(^^)


1983. 3月頃 東京 クハ103−277

東中野事故車です.当時はまさか今みたいにたくさんの103系を撮影するとも思ってませんでした.
82年頃からようやく中間車を撮影し始めたのと,当時は「番号が写っていたら,というよりわかれば良い」という基準だったので,今お見せするにはかなり抵抗がありますが,撮影していることには変わりありません.
まぁ,かなり自己満足な部分はありますが,実は「ブレやボケ」などで撮り直さないといけないと思い撮り直しを始めた事がきっかけで今の撮影スタイルができあがりました.
最初写した車両が非冷房だったのに,撮り直したら冷房車になっていたとか言うのがあり,「あ,おもしろいな,こういうの揃えると楽しいだろうな」という事から「外見上,あきらかに違いが発生したら,未撮影車として撮り直しをおこなう」という基準を作ったわけです.
そのおかげもあって,程度の悪い車両は,JR化後はかなり撮り直しができましたので,まだ見れるようにはなりましたが,それでも中1線でもOKだったり光線をあまり気にしなかったりしていたので,程度としては中の下くらいだったでしょうか(^^)
また,ネガケースの上にクーラーから大量の水漏れが発生して,かなりのネガが被害を受けたのも痛かったです.
まだ当時のネガはありますが,プリントしようにもスキャンしようにも,ピンぼけ状態になってしまっているのです.この中にも貴重な車両がイロイロあったのですけどね.
そんな苦労がありましたが,今はデジカメで撮影後すぐに画像を確認しながら写せますので,以前のように下回りが暗すぎて見えないというのは減ったと思います.
これも,いろんな方々から,永尾の写真はなぁ・・・と叱咤していただいたおかげでもあります(^^)