103系電車が設計された訳
出典: CLUB103ウィキ
目次 |
[編集]
先輩101系
- 103系電車が登場する6年ほど前の昭和32年に、今までの電車の技術を一新した新性能電車101系が登場する。様々な新機能を搭載したが特筆すべきはオール電動車として運転するという点であった。
- 101系に使われたMT46Aという電動機は汎用性が高く、後に歯車比を変えるだけで近郊形から特急形まで使われるのだが、101系で使用するに当たっては加速力を増すために歯車比は1:5.60とされた。
- また101系には応荷重装置という便利な装置がついていて、乗客の量によって限流値の値を増減させ、加速・減速ともに一定に保つというもので、旧形時代は経験と勘に頼っていたラッシュ時の制動などが強力な電気ブレーキの制動力とともに非常に楽になるはずだったが・・・
[編集]
営業運転開始
- 昭和32年末に営業運転を開始する事になるのだが、全電動車で運転すると当時の変電諸設備の処理能力以上の電流が必要になる事がわかり、当初予定していた限流値による運転ができなくなってしまった。
- 計画では応荷重装置を使って空車320A、積車440Aで運転するはずだったが、結局営業運転に際して空車280A、積車400A程度に落とされてしまった。
- 限流値は弱め界磁最終段には関係ないが、それ以外の進段のタイミングを制御する役割があり、一般的に限流値を高めると加速力が増し、限流値を下げると加速力は減るので、当初の高加減速という性能を少し落として運転した事になる。
[編集]
更に性能低下
- 昭和33年に入り量産車が製造されるが、この時点ではまだ全電動車であった。しかし量産車が走り始めると、電力事情の問題が顕著に表れてくるようになる。応荷重装置を使って限流値を下げて対応していた101系だが、このまま増備するととても変電所が持たない事が判明し、101系の営業開始から1年経たない昭和33年11月には付随車を2両挿入して8M2Tの編成とされた。
- この段階ではまだ性能が極端に低下したと言うわけではないが、もともと電動車2両が2両を引っ張る事を想定して主電動機やCP容量などを決めていた事から、サハ挿入後に主電動機やCP等に余計な負荷がかかることになる。
[編集]
方向転換
- 中央線における変電所増設などを行っても、このまま101系が増備されると設備投資分が101系の増備分に食われてしまうだけで、結局101系を新製する度に変電所を作らなければならないといういたちごっこに陥る事がわかった。
- そこで、これだけの設備投資をして101系の投入が見合うかどうかを再度検討してみると、101系の高加速によって達成できる輸送力増強はわずかなもので、毎年の輸送量の増加に対応できるものではなかった。
- そこで101系の本来の目的であった高加速・高減速による運転時間短縮はあきらめ、101系の編成に更に付随車を2両挿入した6M4Tとして1両でも多くの新車を投入した方が首都圏のラッシュ対策には有効であると方向転換を行った。
- 6M4T化するに当たっては昭和34年11月に主電動機の熱容量に関しての実車実験を行った結果4M3T編成が限界との結論が出され、10両編成では6M4T、8両編成では6M2Tの編成にしなければならなくなった。
- 101系が応荷重装置を使わなくなった時期について明確な記述は今のところ発見できていないが、歴史的流れからすると、8M2Tから6M4TとM車比率を変更したときでは無いかと思われる。
- 同時に限流値を350A固定にしたと思われる。
[編集]
101系は使えない
- 高加速高減速による運転間隔短縮による輸送力増強で、首都圏のラッシュ輸送を一気に改善するはずの101系だったが、実際に走らせる設備面が101系を受け入れる体勢になかった事から、旧形国電とほぼ同じ運転時間にて101系を使用する事になってしまった。
- ただ、運転時間に大きな差が無いとはいえ、両開き1300ミリのドアは乗降時間を短縮できること、50キロ程度までの加速は101系の方が早く、ブレーキも電気ブレーキが使える事から旧形よりも有利であった。
- このような理由から101系電車については輸送力改善のために、中央線の新性能化以後も大阪環状線や山手線に配置されたが、当時は8両編成の通勤路線が多い事、駅間距離が比較的短い線区が多い事から、このまま101系を投入する事は得策ではないと判断された。
- つまり、比較的駅間のある中央線であるから101系でも使えたが、それ以下になると、主電動機の熱容量の問題から性能を極端に落として運転する必要が生じるため、非常に無駄が多い事になるからである。
- そこで101系の後継車種を選定していくことになる。昭和34年末の事である。
[編集]
新しい形式に向かって
- 101系の後継車種だが、主電動機がMT46Aのままでは抜本的な解決に至らないため、まず主電動機の設計から始める事になる。
- 通勤電車として使う線区の特性などをピックアップし、それらを満たす主電動機を新形通勤電車に装備しようとしたのである。
[編集]
主電動機
- 101系の後継車種以外にも当時の国鉄では同じMT46Aを使っている特急形や急行形にも問題が発生していた。東海道線には151系や153系の特急・急行が走っていたが高速で走る事もあってMT比1:1の6M6Tなどで運転されていたが、車両故障などで1ユニットカットした場合、4M8Tで関ヶ原の勾配を通れるかどうかが問題になった。
- そこで、何度かユニットカットした状態を想定した主電動機の熱容量試験が行われている。
- 結果としてMT46Aの性能では、今後山陽線や上越線など勾配を有する線区でMT比1:1による運転が難しいと判断され、これらの線区を走れるように25パーミル勾配でMT比1:1で運転できる主電動機の研究にかかった。
- これらの主電動機は120KWのMT54となるのであるが、基本的にMT54は高速域での引張力が大きいので、そのままでは低速域の引張力を必要とする通勤電車に使えない。
- そこで、通勤線区に適した主電動機であるMT55を別に開発する事になる。
[編集]
MT55
- MT55は当時新形通勤電車の投入を予定していた線区の駅間距離・表定速度・最高速度などから定格速度を決めたが、その結果として大型の電動機となり動輪の直径が910mmになってしまった。
- ちなみに1:6.07という歯車比であるが、動輪の大きさを考えると101系などの1:5.60とほとんど変わらない歯車比である。
- だから「103系は5.60よりも大きな歯車比なので101系より低速重視である」というのは、ほとんど変わらなかったというのが真実のようである。
- 余談はさておき、定格速度を低く取ったが、高速域でも使用できるような設計であった。
[編集]
MT54で新形通勤電車は作れるか
- 近年になってよく言われる方が居るが、昭和37年の段階で検討はされていてMT54は新形通勤電車に使えないという結論が出ています。
- 要はMT54はMT46Aの出力増強タイプであり、引張力などの特性はMT46AもMT54もほとんど変わらないので、MT54搭載の通勤電車もまた低速域の引張力を確保できず、必要とする引張力を確保するには101系同様にMT比を上げるか限流値を上げるしかない。
- どちらにしても、主電動機の熱問題的に不利になり、モーターの熱容量を計算式で求めて見るとMT54を装備していても限界の93%という状態であったらしいので、スピードアップのために限流値を上げる事もできず、将来的な冷房装置取り付けによる重量増も難しいような形式になってしまうという事みたいです。
- 東海道山陽線や、快速分離後の常磐線のように高速運転する線区には、MT54を搭載した通勤電車でも良いのかもしれませんが、通勤電車というのは線区ごとにスペックを変えて入れるものではなく、最大公約数的な性能が求められるわけで、当時の状況からするとMT54の付いた通勤電車など使い道の無い車両だったという事です。
[編集]
いよいよ103系
- 実は103系の登場の話などどうでもよく、知ってもらいたいのは当時の首都圏の通勤路線事情なんだよね。101系が使えない、山手線で使ったら旧形電車よりも一周の所要時間がかかったとか、今までほとんど趣味誌に出てこないじゃないですか?
- 特に電力事情なんてね。電気がいくらでもあると思ってるんだろうね120KWのMT54を使ったら良いと言う方々は。
- たとえばいくら時速200キロ出る車を開発しても、道路が砂利道だったら性能を発揮できないでしょ?それと一緒なんですよ。
- 架線に電流をたくさん流さなければならないのに、中央線以外はシンプルカテナリーという架線だったり、変電所能力も中央線以外はかなり小さい値だったりと。
- これらの事を理解していたら、闇雲に103系の高速バージョンなどを要求しないはず。
- もちろん、昭和50年代になり、様々な路線で103系が使われるようになってきた時は、そういうオプションも含めて検討する余地はあったと思います。
- しかし、設計当時は103系のコンセプト以外で、当時のラッシュ輸送を打開できたかどうかですね。それがいちばん大事な話なのに、いつの間にか当時の環境が無視されて来たように思う。
- ちゃちゃっと書いたので、もっと詳しく書き直すつもりではいるが、これを読んだ何人かでも103系という電車が設計された当時の事を気に掛けてくれたらうれしい。
