異議あり!

鉄道ピクトリアル2010年6月号の運転理論

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ネットでの著者とのやりとり

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人の記事を「信頼するに値しない」と批判

 著者とは何度かある掲示板にて会話をしたことがあるが、その際に私が参考として引き合いに出した模型誌「とれいん」の2007年7月号の入江孝徳氏の記事について、著者は信頼するに値しないと批判した。
 実際、その内容を問うても著者から返答は無く、一体どの部分が信頼に値しないのかと言う部分は著者本人しかわからない状態ではあるのだが、それでも他人の記事を批判したのは間違い無い。
 また、Jトレインで著者が100km/hの到達距離で加速を測っていた事に対して「それは違うのでは」と言う私の意見などなどを含めていろんな運転理論的な観点から指摘をしていたのだが、これまたとある掲示板で著者は私、 永尾が間違っている事をとことん説明すると言うふうに書かれた。
 私は、他人の記事であっても、そこに誤りと思われる部分(その多くは著者の小さな勘違いが多い)の指摘はその記事の著者にとっても、また読者にとっても有益なものだと考えている。記事を書いたもののプライド云々のような小さなものよりも、真実を伝えるという方が何億倍も有益だからだ。
 そんな観点から、過去にも雑誌で103系特集などが組まれた際には、この部分に事実誤認があるのでは等と言うのをまとめてその特集を組んだ編集部に送付などもしている。
 が、そこには、そう言うだけの根拠を添える。それは人の書いた事について間違いだと指摘する以上は常識的な事であるし、根拠が無いと相手も取り合ってはくれない。今回のピクの記事にしても、著者に恨みがあるとかではなく、こういう根拠によって、書かれた内容は違うのではないか?と言う事が言いたいわけだ。

人の意見を否定した者の責務

 人の記事を「信頼するに値しない」や私の意見について「あなたは間違ってる」と他人に対して辛辣な意見を主張される以上、自分が書いたピクトリアルの記事の疑義に対して返答する義務もあるだろう。
 著者は、自分が発言してきた他人への批判部分についての根拠を示す義務もあるし、それだけの事を言う以上、自分の記事に疑問点を問われたら回答する義務もあろう。それは、他人の記事や他人の意見を否定してきた以上、当然の責務である。
 著者がどの程度こういう状況を真剣に考えてるかはわからないが、仮に返答が無いのであれば、返答が出来ないと考えるしか無いし、それは詰まるところその根拠を暗に認めると言う事(自分が間違ってると言うのを認める)に他ならないわけだ。
 できるだけ著者本人から間違いであれば間違いであると答えて欲しいし、理由があるなら、その理由も聞きたいところだ。それが社会人としてきちっと責任を果たすと言う事では無いかと思う。

ネットでは書き逃げが多かった

 今回の件にいたる迄に何度か著者からの発言があったのだが、その中身は「俺は運転士だ、運転士の言う事は絶対だ、お前達の言う事は間違っている」という論法で、何が間違いで何が正しいのかについての説明が全く無いものが多かった。
 当然、それに対して「何がおかしいのですか?」「こういう根拠がありますよ」と示して著者の返答を待ったのだが、そういう自分に不利な資料を出されると、とたんに出てこなくなってしまう。これは、雑誌に記事を書く身としてどうかと思うし、常識的に考えても自分から食ってかかってきたのに、根拠を示されると黙り込むってのは、ある意味潔さが足らないのではないかと思う。
 相手がそれだけ対応してるのだから、それに対して何らかのアクションは普通は必要であろう。それが自分に不利な内容になったとしても、それを黙秘で隠したからと言って、不利な内容が有利に変わるわけではないのだ。そのやりとりを見ている他のネット上の方々から見れば、益々著者に不利になっていくだけと言う事に早く気づくべきだと思う。

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