異議あり!

鉄道ピクトリアル2010年6月号の運転理論

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基本的な私のスタンス

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揚げ足取りに思われがちな記事の指摘

 誰だって自分のやった事を横からチャチャを入れられたくは無いものです。特に趣味の分野であれば、取り組み方やジャンルは人それぞれに楽しみがあるものですから、それを横から「お前のやり方は間違っている」なんて言われたらそれこそたまったもんじゃありません。
ですので、私としても個人個人が研究する内容や趣味の対象とする内容についてとやかく言うつもりもないですし、そういう事をしてきたつもりはありません。
ただ、趣味誌などの記事については、著者の検証不足により誤った情報が安易に流れてしまうという危険性があります。そんなことで、記事が発表された後におかしい点を指摘するという行動を取っています。
  たんに揚げ足取りなら「○○が書いた記事、間違いだらけだ」と言い回れば良いだけですが、そうやって指摘する以上、なぜそうなのかという根拠を必ず示します。
  この根拠を調べて、記事と対応させて違いを説明するというのは、非常に手間暇かかる事です。単なる揚げ足取りでそこまでやるでしょうか?まず、一つの記事の大切さ、その影響などを考えた時に、真剣にその記事が正しい内容になるような活動を行っていると思って頂ければ幸いです。
  このあたりは、理解してもらえる人は少ないですが、正しい事は何なのかという探求は、読者のみならず執筆者本人にも間接的にメリットを与えるわけですから、もっと真剣に考えても良い事じゃないかと私は思ってます。

査読制度が無いのが問題だが現実的にはその実現は難しい

 趣味誌で簡単に誤りが発表される事については、あくまでも趣味誌であって、学術論文でも無いと言う部分が大きいと思われる。つまり、記事の内容を検証して不備点を執筆者に差し戻すなんて事は、まず今の趣味誌の編集部では行わない。なぜなら、そんな個々の記事の内容の正確性を検証するなど編集部サイドで行うヒマもなければ人材もいないからだ。だから、執筆依頼の段階で、相応に間違いを起こさないかどうか、過去の執筆実績などから執筆者選定を行い、その段階で正確性についてのリスクを低減するという方法をとっているようである。
実際問題として、趣味活動は前節でも書いたとおり、多くの形態があってしかりであり、そのそれぞれについて、いわばオンリーワンが多く存在する。例えば103系電車の研究などにしても、実車を見ていたと言う部分では私は日本でも有数な趣味者であろう。だから、私が「サハ103-201なんですが一時期番号を書き間違えてまして210にして走っていた」とした場合、実車を見ていた私だから信憑性があると言う判断もつくでしょうし、その検証を誰が出来るのかと言うと実際、編集部でも難しいし、国電研究として名をはせてる方であっても、そんな個別の案件まで理解は出来てません。
つまり、趣味活動での発表についての内容を検証するのは事実的には不可能に近いと言えるわけです。ただ、歴史的な事などの記事であれば、多くの方が検証する事はできるでしょうが、いずれにしても、そういう査読を行うという風習は趣味誌にはなじまないと言えるのは間違い無い事です。

だからこそ読者情報が大事

 記事が慎重に検証されずに誌面を飾るのが避けられない以上、誌面で発表された後のフォローで対応するという方法もあります。私が今、各誌での103系記事が出た際に「おかしいと思われる点」としてまとめて編集部に送付しているのも、記事の内容を見て、それを読者が検証するという事後方法を改善策として考えているからです。
もちろん、これは各趣味誌の編集部の理解が無いと先には進みませんが、ネットも発達してきた事もあり、コツコツでも良いので、そういう活動をすすめてゆこうと思ってます。

著者がどう受け取るかは別問題

 著者としては、自分が書いた内容を指摘されて楽しいはずはありません。ただ、査読制度が無い以上、簡単に間違いが通ってしまいます。
本来であれば記事になる前に差し戻されていた点であるかもしれないと言う事は、頭の片隅にでも置いておいて欲しいです。指摘が記事になる前か、記事になった後か、単にその違いでしかありませんが、記事になった後は読者に対して誤った情報を広めたと言う事で、それを収束するための責任すら感じてもらわなければなりません。
その意味では、一刻も早く自分が書いた内容の問題点を指摘してもらったとして、逆に感謝してもらいたいってのが本音ですね。上でも書いたように「揚げ足取りがどうの」という子供のけんかみたいなのをしてる訳では無く、あくまでも真実を広めるため、虚偽が広まらないための活動をしていると言う事なんですから。著者もそのあたりは真摯に内容を受け止めて欲しいし、それに対してきちっと訂正をするなどの行動を起こすことが、責任ある行動ではないかと思っています。 

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